ジャッジされる審判

大坂なおみ選手、おめでとう!

始めてテニスをテレビで見て、その強さに見入ってしまったね。
まさに、元気づけられる。そんな試合でしたね。
大阪なおみ選手が全米オープン続いて全豪オープンでも優勝し、四大大会連覇と世界ランキング1位を同時に獲得。今回テニスの試合を初めてみて、めちゃくちゃ興奮しました。

 

試合の結果とは別に、注目したのは、チャレンジというルールです。


「チャレンジ」って?

 
チャレンジを宣言すると、3回失敗するまでビデオ判定を受けられるというもの。ビデオ判定結果で、線の中に入っているかいないかジャッジします。時に、審判がOUT言ったのにINだったなんてことがあって、判定を覆すことになります。
 
 
これは面白いルールだなぁと思いました。
 審判はせっかくジャッジしたのに、目の前でビデオシステムによって自分の誤りを突きつけられるシステムですよね。それががあるのに、使う使わないを選択するのは選手次第です。

え?..全部そのシステムで見ちゃえばいいじゃね?とか思いませんか。
 
現代の技術を使えば、審判なしに常にリアルタイムでボールがどこに落ちたか分かりそうなものだと思います。なにも人工知能とかAIといったトレンディ―な技術をつかう話ではなく昔からある技術の応用でイケそうなきがしてならないですが、まだその域にテクノロジーは来てないんですかね?
(そういう意味で、データ量もスピードもUPする5Gには超期待)
 
また、ルールの判定に人間を使うことにどういう意味があるのか気になりました。もしかすると審判の役目は終わって、過去の産物になっているのではないかとも考えられます。
 

スポーツと技術

お昼に、同僚とテニス談義にはなをさかせていると、「そういう人間らしい誤審なども含めて、スポーツだからじゃないか」という考えがでてきました。
 
これまで審判がいた理由は、技術も通信も弱かったわけで、ゲームを途切れさせることなくその場でルールに照らしジャッジできるそんな人が必要だったと考えられます。なので、誤審や誤りが過去にあったとはいえ、それも含めてスポーツであったという考えです。
 
 
しかし今後は、そういった誤審は技術ですぐに解決されるだろうと考えています。審判といったルールベースの仕事 (決められたルールに沿って判断、作業していく仕事)は、淘汰されてしまうだろうと思っている。
 
例えば、フェンシングの試合は(詳しくないけれど)剣が当たると色が変わってすぐに結果がわかる仕組みを取り入れていたんじゃないでしょうか。
 
フェンシングのスピードで実現できているんだから、おそらく出来る。今すぐ無理でも近い未来にスポーツテックとして実現していくことが十分想定できるでしょう。
  

とするとやらない理由は、同僚の言った「そういう人間らしい誤審なども含めて、スポーツだからじゃないか」

まさに、これに尽きると思います。

 
誤審を見て言い争ったり、今のは入った、入ってない。スタジアムやTVの前で熱くなる。どちらかというと少年漫画で見たようなショーとしてのスポーツを期待しているのかなーも思えます。
 
 

最後に

プロレスのようなショーとしてのスポーツと、人間の肉体の限界の追求を目指した先端技術としてのスポーツと、未来では別れているのかもしれないと思いましました。